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東京地方裁判所 平成10年(ワ)70415号 判決 1999年5月28日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

乙山太郎

被告

日本精工株式会社

右代表者代表取締役

関谷哲夫

右訴訟代理人弁護士

小川信明

友野喜一

鯉沼聡

高橋秀一

主文

一  東京地方裁判所平成一〇年(手ワ)第一五四〇号約束手形金請求事件について同裁判所が平成一〇年九月三〇日に言い渡した手形判決を取り消す。

二  原告の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成一〇年七月二五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、別紙手形目録記載の約束手形一通(以下「本件手形」という。)の手形金と満期からの手形法所定の利息の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実(請求原因)

1  原告は本件手形を所持している。

2  被告は本件手形を振り出した。

3  本件手形は支払呈示期間内に支払場所に呈示された。

二  争点(抗弁)

本件手形は、株式会社パイロセーフティデバイス(以下「訴外会社」という。)が被告から振出交付を受けて保管中、平成一〇年七月六日午後八時三〇分頃から翌七日午前七時四〇分頃までの間に、訴外会社の社屋内から、訴外会社の記名印、代表者印とともに盗難にあったものであり、盗難後に本件手形を取得した者は、原告を含めて、すべて悪意又は重大な過失によってこれを取得したか否かである。

第三  争点に対する判断

一  証拠(甲一の1ないし3、乙一ないし六、一八、証人長谷川明、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

1  本件手形は、訴外会社が取引先である被告から製品販売代金の支払のために振出交付を受けて保管していたところ、平成一〇年七月六日午後八時三〇分頃から翌七日午前七時四〇分頃までの間に、訴外会社の社屋に侵入した何者かによって、他の約束手形二七通、訴外会社の記名印、代表者印等とともに盗難にあったものである。

2  右盗難後、何者かが本件手形と同時に盗まれた訴外会社の記名印及び代表者印を使用して、本件手形の第一裏書欄に訴外会社名義の裏書を偽造して、本件手形を流通に置いた。

3  本件手形の振出人である被告は、自動車部品等の精密機械部品の製造販売を業とする東証一部上場企業である。

4  本件手形の第二裏書欄に裏書人として記載されている株式会社サンキトレーニングは、本件手形上の住所に商業登記されておらず、右住所地における営業の形跡もない。

5  本件手形の第三裏書欄に裏書人として記載されている一ツ橋物産株式会社(代表取締役中村舜次郎。以下「一ツ橋物産」という。)については、本件手形上に住所として「新潟市下大川通二ノ町<番地略>」と表記されているところ、「下大川通」という地名は存在せず、実在する「新潟市下大川前通二ノ町<番地略>」にも商業登記されておらず、営業の実体もない。

6  長谷川明(以下「長谷川」という。)は、平成一〇年七月一一日、中村舜次郎(以下「中村」という。)から、電話で「期間が短いが正規の手数料を払うので、手形の割引を検討してもらえないか。」との申出を受け、同日、新潟市内のホテルで中村と会い、本件手形を含む三通の約束手形(被告振出の額面一〇〇〇万円、満期平成一〇年七月二五日の本件手形、株式会社東海理化電機製作所振出の額面三〇〇〇万円、満期平成一〇年七月三一日の約束手形、株式会社東海理化電機製作所振出の額面九六万円、満期平成一〇年七月三一日の約束手形。いずれも訴外会社が盗難にあったもので、その額面総額は四〇九六万円である。)の写しを受け取ったが、自己資金がなかったこと等から、即答を避け、割引を検討することを約束して、中村と別れた。

その際、中村は、長谷川に対し、右各手形の取得経過について一切説明しなかったし、長谷川も一ツ橋物産の業務内容や右各手形の取得経過について中村に尋ねなかった。

7  長谷川は、中村から右申込みを受けた日である七月一一日、原告に対し、電話で「いい銘柄のものが三通あるけれども、私自身で割る力がないので、どれか一つ割ってくれないか。」と申し入れ、振出人と額面金額を伝えたところ、原告は額面一〇〇〇万円の本件手形を割り引くことを承諾した。

長谷川は、同日、原告宅を訪れ、原告に対し、本件手形の写しを示しながら、会社四季報で調べた被告の住所と代表者を伝えかつ年商三〇〇〇億円の確かな会社である旨再度説明したうえで、長谷川は仲介者の立場であり本件手形に裏書はしないこと、割引手数料は額面の五パーセントの五〇万円であり割引金から差し引いてほしいこと、仲介の謝礼として一〇万円程度払ってほしいことを申し入れたところ、原告は、割引金九五〇万円を一括では払えないが、七月一三日に半分、残金は翌週に渡せるので、相手方がそれで良ければ割引を実行する旨述べた。

そこで、長谷川は、中村に原告の支払条件を伝えたところ、中村が承諾したので、同月一三日、原告から五〇〇万円を預かって、これを中村に渡し、引換えに本件手形を中村から預かり、同月二一日に、原告から残金四五〇万円を預かるのと引換えに本件手形を原告に渡した。

長谷川は、原告に対して本件手形割引の仲介を申し入れた際、本件手形割引の相手方が中村ないし一ツ橋物産であること、中村がいかなる経緯で本件手形を取得したかについて一切説明を受けず、原告もこの点について長谷川に説明を求めなかった。また、原告は、振出人や支払担当銀行等に照会する等の調査も一切行わずに本件手形を取得した。

8  長谷川は、昭和六〇年頃、第四銀行の取引先の会合で中村と知り合った。当時、中村は中栄交易を経営し、台湾の木工品の輸入販売に従事していた。

その後、長谷川は中村から一度だけ額面合計五〇〇万円ないし六〇〇万円の手形割引の依頼を受けてこれに応じたことはあるが、その他の取引関係はなく、個人的な交友関係が続いた(もっとも、平成初頃から五年間程度中断がある。)。

長谷川が経営する有限会社エステート新潟が、平成九年二月二五日、中村が経営する株式会社チュウエイクリエント(借主)と帝都実業株式会社(貸主)間の事務所の賃貸契約を仲介したが、右賃貸契約は平成一〇年五月頃解除された。

長谷川は、右仲介をした際、中村から株式会社チュウエイクリエントの事業内容が雑貨、貴金属、装飾品等の販売であると聞いていたが、本件手形の裏書人として記載されている一ツ橋物産については、その事業内容はおろかその存在について説明を受けたことも一切ない。

9  原告は、昭和四二年頃から丸富商会の屋号で金融業を営んでいたが、昭和五二年頃廃業し、その後、不動産取引を手掛け、現在は、電気通信設備の建設・保守を業とする有限会社昭和電気の専務取締役として事務や経理を担当している。

原告は、一一年位前に不動産関係の仕事を通じて同じく不動産業に従事していた長谷川と知り合い、以来、一、二か月に一回程度、原告が長谷川を自宅に招いて食事を振る舞うという交際を続けている。

原告は、本件手形を割引する以前、長谷川から昭和六二年頃に二〇〇万円、平成元年頃に二〇〇万円を借入したことがあるが、同人との間でその他の取引関係はなかった。

10  原告が平成一〇年七月二七日本件手形を呈示して盗難を理由に支払を拒絶された直後、長谷川は中村と面談し、中村は長谷川に対して責任を取ると述べた。しかし、中村は、同年八月一〇日頃から所在不明となり、長谷川は中村と連絡を取ることができなくなった。

二  右認定事実に照らして判断する。

1 本件手形は盗難にかかる手形であるところ、中村が本件手形を含む三通の盗難手形をいかなる経路で取得したか不明であるが、①中村が代表取締役を務める一ツ橋物産は商業登記もされておらず、営業の実体も認められない会社であることから、額面合計四〇〇〇万円を超える高額の手形が正常な取引により一ツ橋物産のもとに持ち込まれたとは到底考えられないこと、②これらの手形が盗難後、最長五日間というきわめて短期間の間に中村のもとに持ち込まれたこと、③中村は長谷川に対し右各手形の取得経過を一切説明しなかったこと、④中村は本件手形が不渡となって間もなく所在不明となったこと、⑤一ツ橋物産の直前の裏書人として記載されている株式会社サンキトレーニングも商業登記がされておらず営業の実体もないこと等を総合すると、中村ないし一ツ橋物産は本件手形を悪意で取得したものと推認できるし、また、右事実に照らすと、本件手形が盗難にあった後に中村ないし一ツ橋物産が取得するまでの間に介在する取得者が存在していたとしても、これらの者もまた悪意の取得者であるということができる。

2 原告は、長谷川を仲介者として、中村ないし一ツ橋物産から本件手形を割引により取得したが、①長谷川から割引の相手方がいかなる経緯で本件手形を取得したかについての説明を一切受けず、そもそも割引の相手方が誰であるのかについてすら知らされなかったこと、②東証一部上場企業が振り出した額面一〇〇〇万円という高額の手形が割引を目的として個人のもとに持ち込まれること自体通常では考えにくいこと、③割引の条件として提示された割引手数料五〇万円は、割引実行日(平成一〇年七月一三日)から本件手形の満期日(平成一〇年七月二五日)までがわずか一二日間であることを考慮すると年率にして一二〇パーセントを優に超える異常に高額なものであることなどから、割引の相手方が本件手形を適法に所持することについて疑念を持って然るべきであり、相手方の素性、職業、本件手形の取得経過について詳細な説明を求め、本件手形の裏書人として記載されている一ツ橋物産はもとより振出人や支払担当銀行等に照会する等して、割引の相手方が本件手形を正当に裏書を受けたか否かを調査すべき注意義務があったのにこれを怠ったのであるから重大な過失があったものといわざるをえない。

原告は、本人尋問において、長谷川が本件手形の割引の仲介を第三者に頼まれたというのは長谷川の口実であり、本件手形の割引の相手方は長谷川であると思って割引依頼に応じた旨供述するが、右供述のとおり原告が長谷川から本件手形を割引取得するつもりであったとしても、右①ないし③の事情に照らせば、原告に重大な過失があったとの認定をいささかも左右するものではない。

3  以上によれば、本件手形は、訴外会社が被告から振出交付を受けて保管中に盗難に遭ったものであり、原告はこれらを所持しているが、盗難後本件手形を取得した者について、原告を含めていずれも善意取得が成立しないから、原告の被告に対する本訴請求は理由がない。

第四  結論

よって、右と結論を異にする主文掲記の手形判決を取り消し、原告の本訴請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官深見玲子)

別紙手形目録<省略>

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